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個人的な記憶と言葉の関係性

2013-09-052013-09-06

◯個人的な記憶とその先

個人的な記憶は、強度は違えど誰にでも共通してあることで、昇華(消化、未消化)の方向、仕方も様々である。

起点にはなるが、その先ではそれほど重要なことではないと、たえず考えている。

表現力とは別の思考の状況:おおよそのものごとは、つたわり難いが前提であり、起点の非重要性(固執的、または情報の共有を遮断)が相反して見えているときは どちらでも良く、解釈もそれぞれの環境に伴い、新しい実験や発見をするように見聞きし、ある程度調整をするようにしている。

類似点は、歴史や背景をある程度、丁寧に追うことで、その多くが分類可能となる。知らないことで起こる偶然性との勘違い、新たなるものとの差異を探求していくことが楽しみとなる。

◯言葉

言葉だけでは簡単に嘘をつくことができる。

瞬間、数分、数十分のあいだ、言葉を交わすという行為において、関係性が存在し、冷静に発する側の意識誘導も起きている。

好きや嫌いという浅い感覚と同様に言葉そのものを、よほどのことがない限り、10代の頃から100% 信じることもない。

◯先端であったシルクスクリーンの現在

画像は、描いて布へシルクスクリーンで印刷したもの(シルクの習作実験)。

アンディウォーホールがシルクを使用していた当時、シルクは先端だった。

それが落ち着き、また新たなるものが先端となっていく時間の中において、シルクの意味ってなんなのだろう。

◯「かわいい」と「考えない」

アンディウォーホール、会田誠、岡本太郎、村上隆、それぞれを簡単に i phone で検索して見せたら、みんなかわいいという人達に会った。私の制作しているものも、その人達にとっては「かわいい」らしい。少し悲しいけれど、日本にいる人達があまり考えることなく使用している言葉「かわいい」。なぜだか思考することを自ら失ったようにも見えた。

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