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Category Archives: Day And Day

メタスタジオを退職することになりました

2002年に細野一三と共同で設立しました有限会社メタスタジオを、2014年3月末日で退職します。現在、残務整理を進めています。
大変お世話になりました皆様をはじめ、温かく見守り助言をくださいました方々に心から感謝を申し上げます。

共感する発信をしつづけている企業に、2014年5月から勤務することとなりました。

ファッションとコンプレックスの関係性、身体と服の関係、かつてとても高価であった布から衣服への展開の歴史と現在の社会状況など、とても至りませんが少しずつ探求をしてきました。

その他、東京藝術大学と取手市が連携しています井野アーティストビレッジに、2014年4月から入居して週末に美術作品の制作を続けていきます。

2014年に受験しました東京藝術大学大学院の入試は落ちてしまいましたが、来年以降に修士課程に進学して、記憶、感覚的な痛みなど日々のあわいを起点に身体性との関係を考察しながら深めていきたいとも現時点では考えています。

ウェブサイトは、まだ移行がすんでいないためTumblrになります。時々更新していきますので、興味を持たれた際はご覧ください。

ウェブサイトへの移行は、6月を目処に進めていますが、今後の情報は、ひとまずtwitterに更新していきます。

今後ともどうぞよろしくお願い致します。


下記写真は、1920年代の羽織にアールデコとアールヌーボーの印象を刺繍しているものになります。

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多摩美術大学 卒業制作展

2014年2月1日〜2月3日、多摩美術大学造形表現学部(上野毛駅下車)にて、デザイン学科卒業制作展、大学院終了展、映像演劇学科年度末企画発表がおこなわれています。

様々な表現、研究の成果を見にいらしていただけますと幸いです。

卒業後もできる限り丁寧に研究、制作、発表を続けていきたいと考えています。デザイン領域における挑戦を20年近く続けてきました。チームでのグッドデザイン賞を始め、スープストックのロゴなど会社として、とても微力ながらできることを続けてまいりました。少しずつ今後は、個人としての美術を通した研究、探求、制作へと移行していきます。

食堂前で展示をしています。

未熟ではありますが、デザインとしてのコンセプトで制作したものではありません。

写真は、私の卒業制作「分割できない歪み  Indivisible to distortion」

分割できない歪みとは、情報としての整理が難しい現象の本質を会話と考察を繰り返し、可視化したものである。
すべての人工物は手から生み出されていく。
手刺繍は、ひと針ひと針縫っていく制作プロセスとその時間が可視化される手法であり、
衣服は第二の皮膚、古着は無名性の生きた時間を内包した一枚の布である。
其処に刺繍が施されることで、新たな生命が再生する。

死を見つめることで、生命の本質に戻っていく。
記憶、痛み、時間、とどまることなく変化していく日々のあわい。
儚さ、常に変化し、移ろいゆくときのなかで、生命のリアリティを再構築する。

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2014年が始まりました

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2014年が始まりました。

充実させながら、少しずつ丁寧に実現化させていこうと思っています。どうぞ本年もよろしくお願いいたします。

上記の写真は、新年にかけて制作していたもの。デコマルで、触れる触覚を起点に活動中で、多摩美術大学で展示した三つ編みと編むの第二弾になります。個人それぞれが制作して冊子を作り、販売するようにしてます。

「Frills and Days 装飾の行方」は、装飾と個性のあり方、豊かさとは、主観と客観性についての考察から、書籍のような形体をとっています。

こちらは、リトルプレスの作品集的コンセプト冊子も制作してて、展示のためのギャラリーや店舗、書店取扱店を探しています。興味を持たれた際はメールにてご連絡をお願いします。

冊子の一部は、模索舎で販売しています。

2013年も本当にありがとうございました

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いつの間にかクリスマスが過ぎていて、いつの間にか師走、あと数日で2014年になってしまいます。

2013年もありがとうございました。

今年は引き続き、生きることの感じ方や死生観が、少しずつ変わっていった一年であったように感じる出会いが多くありました。 私、今年も不甲斐ないことが多くありました。

中学生の時に学校をずる休みして見た、日本での初のクリスチャン・ボルタンスキーの大個展の衝撃(翌日の高熱で母に呆れられ)を思い出すたびに、あれにはいたっていませんゆえ、ゆえもうすこし と思っています。

美術とデザイン、環境や位置が違いますこと起点として引っかかりダダコネ,ブンナゲテシマイタイと葛藤してきてまする。

更新予定の製作物は、来年へ持ち越します。

来年もよろしくお願い致します。

—————————

芸術家は仕事をすればする程存在しなくなり、人生を失ってゆくのです。
私たちが仕事をする理由のひとつは、消え去るためではないでしょうか。
個人ではなく、他人のための鏡になること。他人が自分を自分と認めることのできる
鏡の製造人となること。芸術家に人生はありません。
私には、コレクションもなければ何もありません。
私とは他人に与えるものでしかなく、他人が私の中に彼自身を認めるためのものでしか
ないのです。

CHRISTIAN BOLTANSKI Interview ,  展覧会図録 より

画像は、さっき描いた鳥の一部

虹まで歩いていこう

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昨日、カンブリア宮殿にグラフの北川一成さんが出演していました。

村上龍さんが『北川さんのお母さんは、綺麗な虹を見ていた北川さんにビニール袋に入れて、「虹がここにあるわよ。」』と言ったというエピソードを話していました。

小さい頃に虹を見ながら「綺麗。虹の始まりってどこ?」と母に訊ねたら、「あなたなら行けるわ。行ってきなさい虹の旅」と。

思い出すと幸せな気持ちになります。

子供の頃、どうしても虹の旅に行きたいと思ってました。(今でも始まりを見に行きたいと思う)。

本当に美しいものには、近寄ってみたくなり。

ディティールも 質感も 形状ですら 微妙に曖昧でわからないほど遠くても 美しいと感じるものから目を離すことは難しく。

時にはぼんやり   時には直視   同じ様、数分間だけの美しさをただ眺めています。

写真は、このまえ架かった虹と庭にやってきた蝶。

個人的な記憶と言葉の関係性

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◯個人的な記憶とその先

個人的な記憶は、強度は違えど誰にでも共通してあることで、昇華(消化、未消化)の方向、仕方も様々である。

起点にはなるが、その先ではそれほど重要なことではないと、たえず考えている。

表現力とは別の思考の状況:おおよそのものごとは、つたわり難いが前提であり、起点の非重要性(固執的、または情報の共有を遮断)が相反して見えているときは どちらでも良く、解釈もそれぞれの環境に伴い、新しい実験や発見をするように見聞きし、ある程度調整をするようにしている。

類似点は、歴史や背景をある程度、丁寧に追うことで、その多くが分類可能となる。知らないことで起こる偶然性との勘違い、新たなるものとの差異を探求していくことが楽しみとなる。

◯言葉

言葉だけでは簡単に嘘をつくことができる。

瞬間、数分、数十分のあいだ、言葉を交わすという行為において、関係性が存在し、冷静に発する側の意識誘導も起きている。

好きや嫌いという浅い感覚と同様に言葉そのものを、よほどのことがない限り、10代の頃から100% 信じることもない。

◯先端であったシルクスクリーンの現在

画像は、描いて布へシルクスクリーンで印刷したもの(シルクの習作実験)。

アンディウォーホールがシルクを使用していた当時、シルクは先端だった。

それが落ち着き、また新たなるものが先端となっていく時間の中において、シルクの意味ってなんなのだろう。

◯「かわいい」と「考えない」

アンディウォーホール、会田誠、岡本太郎、村上隆、それぞれを簡単に i phone で検索して見せたら、みんなかわいいという人達に会った。私の制作しているものも、その人達にとっては「かわいい」らしい。少し悲しいけれど、日本にいる人達があまり考えることなく使用している言葉「かわいい」。なぜだか思考することを自ら失ったようにも見えた。

水野教授とナラティブ考察ワークショップをしました

9月1日、臨床人間学の観点からナラティブについて研究をされている水野教授(麗澤大学名誉教授)と対談形式のワークショップにて、デモンストレーションをおこないました。

心理学や哲学、私も書かせていただきました書籍、少しではありましたが民俗学者の柳田國男さんに感銘を受けたことなどが話題の中心となりました。

集中力を持って、人生を構築していくことや、実現していくための集中力、それと共に、友人や家族の存在の大きさについて、考える事が多くありました。

その中で、数十年生きてきて全てが中途半端で、会社も数年で辞めてしまい継続ができません。どうすればいいでしょうという質問がでました。私なりに、できる限り答えながら、切り捨ててはいけない本来の社会の意味を考える時間でもありました。

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制作のためのルーツと考察:(1)「イスラームと宗教」

現在は、麗澤大学名誉教授(臨床人間学)水野次太郎さんからアドバイスをいただきながら、ナラティブ考察の視点や観点から、アート作品としての制作と講演やワークシップを通じて、社会問題への取り組みをしています。

都市の防災システムを長きに渡り研究、実現してきている叔父の村上すみ直さん(都市工学博士)からは、人が集い、使っていくことで起きていく「場」のチカラについてなど、時々アドバイスをいただいています。

今回は、「イスラーム」と「宗教」について、イスラームとしての社会認識と非イスラームとしての社会認識、「相互の認識のずれ」と偏見、差別、迫害の印象について、浅くはありますが考察しました。

※イスラム文化については多摩美術大学で中村寛准教授講義を受講して、無宗教である私が個人として興味を持ち2回に分けて考察します。

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制作のためのルーツと考察:(2)「音楽と美術、社会と文化」

◉オリエンタリズム著者:エドワード・サイードが遺したもの

エドワード・W・サイード(1935〜2003)はオリエンタリズムの著者であり、パレスチナ問題への発言、行動に情熱を傾けていた人でもありました。

フランスの哲学者:ミシェル・フーコー(構造主義)が表象の作用について言及していますが「Re=もう一度、Present=存在そのもの、Re Presentation=代弁、代表」再び存在させるということに着目しながら、サイードが考察、また問題定義をしているオリエンタリズムについて、考えてみたいと思います。

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刺繍を使った習作と雑誌販売0.5号

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ほころびができてしまったシャツに刺繍をしています。かつての新しさとほころびの現在、刺繍をしていくことで新たなものへの転化。シフトしていく価値。
まだおぼろげではありますが、かつてマルタンマルジェラが作り出すクリエイションを

服を着る理由とは?
この形の理由は?
何故着飾る必要があるのか?
ブランドの価値とは?
ということを、あそこでなくてはならなかったと思いながら、ここのところ眺めたり着ることが増えている理由も含めて、考察しながら制作のための習作を繰り返しています。

これは、軍 のために作られた鞄に白ペンキが塗られたもの。
それほど古いものではありませんが、買った当時はあまり持たず、いま毎日のように使っています。

もう一枚の写真は、スーザンチャンチオロさんの作り出すステッチや世界観に、触覚を感覚的に刺激する要素を感じて、DMをデザインさせてほしいとお願いして作った案内状になります。本当に嬉しかったと思えた出会いのようなものでした。

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展覧会

多摩美にてデザインとその環境について改めて考えを構築しなおしているため、デザイン科の准教授 佐藤直樹さんの個展へ行ってきました。

アートでもイラストでもありませんと書かれたフライヤーの答えの先がありましたたぶん。整えてしまおうとする、バランスをとろうとしてしまおうとする癖や無意識への挑戦をしているようにも感じられました。

「秘境の荻窪」展は3月24日まで、6次元でおこなわれています。ゆったりと優しい時間が流れてました。

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それから竹内君参加のグループ展、resist 写真塾 写真展 『ex.resist』 写真塾(主宰:吉永マサユキ・森山大道) の卒業生による写真展へ。

森山大道さんとは、拙いながらも作品集のディレクションとデザインをさせていただきました。竹内君とは、私達が卒業した私立自由の森学園の公開研究会のパンフレットのデザインをした際に、在校生の写真を撮ってもらいました。ご縁はまわるまわる☆*:.。 .AL Gallery

写真にしか切り取れない、いま が切り取られていたように感じました。

10代〜20代に作品集や展覧会、ライブ、書籍をたくさん見ました。会社を立ち上げたときに、展覧会や書籍を通してその場を立ち去ることができない感動や衝撃を受けた人とデザインを通して繋がりたいと思い繋がりリスト(願望:暫く社外秘)を勝手に作りました。それは、賞をとることよりもその時点で大きな希望でした。そのリストが少しずつ実現しています。荒木経惟 作品集 5冊のデザイン、森山大道さんの作品集については、僭越ながら「喪失を贈り物に変える」に書かせていただいています。よろしければ、お手にとってご覧いただけますとうれしいです。

 

渋谷のメッセージ性、シェアハウスへの実現性

2013-01-15  2013-01-16  2013-01-17

【渋谷のメッセージ性】

渋谷の交差点に描かれた「HEY WATCH MAN. WHAT ARE YOU LOOKING AT?」『LIE』『I hate rain」

防犯カメラの真下にある工事中の壁面に描かれては消されて、また上から描くが繰り返されている小さなスペース。

性別も顔もないカラフルなパターン。心の触覚を刺激してくるようなメッセージ。

もしかするとポスターやCMよりも、渋谷というコンパクトであるが、とても大きな流れと発進力を持つ場所のいまを、少し前を、不安なざわめきを言い当てているのではないでしょうか。

【都心における高齢者問題と利益優先ではない都市の可能性への問い】

先日、渋谷の地下街の食品売り場で真剣に割引の総菜とポケットの小銭を見比べていた高齢者を見かけて、なんともいえない気持ちになりました。高齢者問題と流行、コンテンツ、場を作っていく事に必要不可欠な問題をどれだけ先の事を見据えながら、利益優先ではなく実現していけるのだろうかと考えています。

叔母も建築家として関わっていますが、これから明らかに渋谷はツインタワーができるなど、さらに様相を変えていきます。→渋谷駅ツインタワー計画

そういえば先日、渋谷の構想力-コンパクトシティの育て方を読みました。

積極的に建築へのグラフィックの展開も、東工大図書館や川崎駅東口の様に展開していきたいと考えています。その際は是非声をかけてください。

【メタスタジオの11年】

渋谷にメタスタジオを創設して、11年が過ぎました。赤字を出す事もなく細々ではありますが、私たちにできる挑戦をさせていただけていることに、それからデザインさせていただきました書籍の多くがプレミアがついている事をお知らせいただき、ありがとうございます感謝。

アートディレクションは現在、飯田めぐみと細野一三ともにそれぞれがしています。一つ一つに対してデザイナーとしてのサポートを相互にしています。設立当初のように二人でディレクションということはしていません。サポートしてくれているデザイナーやスタッフ含め、できる限り丁寧に対応させていただいています。これからも宜しくお願いいたします。

【シェアハウスへの実現性】

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↑千葉にある実家で小学生の頃に母が撮影した私(左)妹のみづほ(右)。

渋谷まで約一時間の場所にあり20歳まで過ごした実家を改装して、シェアハウスにと考えています。

私が小さい頃には、壁を好きなように描き、飽きると塗り替えながらアーティストや外国人に貸していたり、母が進学塾をしていたため、たえず20名〜30名の人が出入りしていました。

両親も他界した現在、優秀な叔父や叔母などのチカラをお借りして、みんなが豊かな気持ちでリラックスして楽しめる空間としてのシェアハウスにできるかどうかを検討しています。

 

都民芸術フェスティバル・クラシックコンサートのデザイン

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  「都民芸術フェスティバル販促用ポスターとパンフのデザイン」

Design and Logo Illustration: Megumi Iida

演奏連盟主催のコンサート「都民芸術フェスティバル」コンサートの販促用パンフ、ポスターのデザインを今年もさせていただきました。イラスト、ロゴも私がオリジナルで製作しています。こちらは、三角の持つ印象と音符と五線譜からのクラシックの持つ堅さと優雅さからのコンポジションになります。

余談になりますが、NHK交響楽団はじめ日本のクラシック楽団が出演する通し券は秒殺で売り切れてしまいました。

●一、二枚目の写真:販促用パンフ ●三枚目の写真:オリジナルで製作しましたロゴとイラスト

●四枚目の写真:販促用パンフの中面 ●四枚目の写真:ポスター

「25年続いたガラコンサートのファイナルコンサートのデザイン」

世相の反映かもしれませんが惜しまれながらも今年が最後となってしまう25年続きましたガラコンサートのデザインもさせていただきました。こちらもイラストからコンポジションまですべて私がしています。

●一、二枚目の写真:販促用パンフ ●三枚目の写真:オリジナルで製作しましたイラストとコンポジション

Design and Logo Illustration: Megumi Iida

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上記のコンサートは全て絶賛発売中となっています。どうぞこちらからご覧ください

「転機の一枚:Y’s for LivingのDM」

2013-01-08

突然ですが、デザインしたもので印象に残ってるものは?と何回か尋ねられましたので書くことにします。

どうしてもYOHJI YAMAMOTOのデザインがしたいと入ったデザイン会社で、少しずつさせてもらえるようになった頃にデザインした転機のような大切なデザインがY’s for LivingのこちらのシーズンDMです。

10年を随分過ぎている今でも時々思い出しては眺めることがあり、その節はありがとうございましたと、聞こえないかもしれませんが御礼を言ってしまう一枚です。

最近のデザイン、ディレクションしたものの更新は、今月末のラジオ出演が終わったら少し落ち着きますので、その頃またとさせてください。

 

死生観から見るジャパニメーション

エヴァンゲリヲン新劇場版:Qの興行収入が2013年1月中旬の時点で50億円を超えました。デフレといわれている状況においてこれだけの収入を上げているジャパニメーションの現象について考察しました。

「コピペ可能なフックのあるセリフの連打」

エヴァンゲリヲンは、私たち日本で暮らしている人々が抱えている意識、無意識に関わらず、未消化なまま切り捨ててしまおうとする感情や感覚のヒリヒリとする痛みの弱さ、漠然と整理できない思想や死生観を、CMに使われるコピーのように、よりシャープにわかりやすく変換して、切り取り可能な言葉を多様していました。→セリフを集めたツイート

「爆破シーン前の緊迫感と後のスッキリ感」

わかる人にしかわからないかつての映画や物語へのオマージュと、爆破シーンから抱く破壊へのスッキリ衝動もあわせ、そういえばハリウッド映画にカーチェースや爆破シーンが多いのは、考えるよりも尋常ではない緊迫、緊張感と破壊への解き放たれるスピード感のある感覚への誘導がおこなわれているからなのですが、エヴァンゲリヲンの戦闘シーンと破壊にも、似たような感覚誘導を受けました。

「宗教観とアニメーションの可能性」

日本人の宗教観は習慣化しているため、イスラム教やキリスト教のような乱暴な言い方をしてしまえばオレが神!的な巡礼や服従、儀式の拘束もほとんどありません。 ですがシンジ=エヴァ=キリスト(の福音)解釈はググると多く見つかります。

好き、嫌いではない宗教に結びつく解釈による拘束がキーとなる展開は、冒頭でも述べましたが理解しがたい孤独な虚無感への拒否感と小さな小さな信じる強さへの憧れのような純粋な感情が混在している切り捨てられないというわかりやすさを見せたものなのかもしれません。

アニメ−ションでしか描くことのできない刹那と宇宙への憧れ、この先があるかもしれないという期待を抱かせるようおわりへ。 →首都大学東京システムデザイン学部航空宇宙システム工学コース・宇宙システム研究室 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q_冒頭6分38秒_宇宙考証の解説

「切り捨てられない痛みの表現と死生観」

全体を通して繰り返しになりますが、切り捨ててはしまえぬ、されどあまり直視はしたくない心理的な痛みの可能性に対する現時点における表現と、震災後によりわかりやすい形で提示され続けている喪失感と死生観のミックス共感強め方向への引力だったのではないでしょうか。

ジブリ映画にみられる、小津安二郎がかつて作り出していた日本人の情緒、安心感、家族とはの表現と類似点を通して、エヴァンゲリヲンシリーズの対極にあるようにも見える”一人感と独り感”の繋がりについて、もう少し考察できる時に触れたいと思います。

※ジャパニメーションとは、アメリカでは”Jap(日本人に対する軽蔑語も含まれている)”とアニメーションの合成語として、偏見的な意味合いを含んで使われることが多く、「下らないもの」、「子供に良くないもの」として生まれた言葉と認識されている。日本では、アニメーションの略として使われている”anime(アニメ)”が一般的には日本製のアニメという意味で使われている。しかし、今日では日本の数少ない世界価値の1つである。

喪失感ということから先日、著書「喪失を贈り物に変える」を多摩美術大学のサイトで紹介していただきました。週刊新潮に掲載されました書評や内容は、こちらからご覧ください

新年明けましておめでとうございます

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新年明けましておめでとうございます 本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

年賀状を書いているところですので届く頃にはお正月が。。。ということになってしまいますたぶん。申し訳ありませんが、まずはブログから新年のご挨拶をさせてください。

昨年は、社会が不安や緊張感を感じているのかもしれず、全体の緊張感が強めとささやかれておりました。急激な変化ではないかもしれませんが、少しずつ緩やかに良い方向へ変わっていくことを願い、社会的な不安を受け止めながらも、できることとともに更なる努力をしていきたいと考えています。

一月の終わりに、昨年に引き続きJ-WAVE系列のラジオに出演します。

☆今年の個人的すぎる抱負

展示と本をまた書きたい。オリジナル商品の販売もしようかと思っています。

友達100人できるかなという歌がありますが、ほんとにできたらいいなと思っている子どもでした。大人になると満ちる感じと共に孤独を大切に、配慮しながら不正をすることもできるだけないように時が過ぎていきます。再生とともに簡単には信用せずまずは調べる、描く、子どもの頃からひねくれ者なところもありました。

●一枚目の写真:手作りしました新年リース(キラキラを付けすぎて手がキラキラだらけ!で新年を迎えました)

●二枚目の写真:大晦日の早朝散歩に出たら、餅つき大会告知の手描きの看板が!伸びやかな迷いのない字と絵(餅つき大会行きたい。きなこ、あんこ、もち、きなこ、あんこ、もち)

●三枚目の写真:半身 FUCK LOVE、こちらはエロスがテクノロジーを進歩させるというtwitter上の言葉を最初のヒントに、社会における本音と建て前、現実と虚構、嘘と本音の立ち位置を考えながら新制作した作品です。

●四枚目の写真:手描きで年末辺りから描きつづけていました新作のアップ画像。三枚目の写真との連作になります。おそらくお披露目は、まずは多摩美からになります。

●五枚目の写真:四枚目の写真の下絵途中の過程

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↑ わたし。年末、メガネなしでは全てがダブルに見えてた日。

 

☆展覧会とおすすめ書籍

先日、A REAL UN REAL AGE展をパルコで見てきました。興味はあったのですが一着も持っていませんでした。構造のとらえ方からのコンセプトを大切に考えていることが伝わってくることで、私の服に対するモヤモヤとした引っかかりが、少しほどけていきました。その会場でも販売されていました「相対性コム デ ギャルソン論 ─なぜ私たちはコム デ ギャルソンを語るのか」を読みながら、ハトラのパーカーも気にしつつ短いお正月休みを過ごします。

それから会田誠展:天才でごめんなさいの説得力、刺激になりました。 サワサワ、触る、タンジブル、テクノロジー、メディアミックスが気になるこの数年。

批判的に物事を見すぎることや傾倒しすぎることはしないように、コンセプトやアイデアをどのように見ているのかをたのしみながら接しています。ミイラ取りがミイラにというような、一面のみからのニヒルな視点を持たないよう心がけています。

基本的には、意を介さず、突き詰めぬ逃げの不安から群れる癒着と、懐古主義の気分酔いが苦手です。

 デザインしたものの更新はできるだけ早めにします。

2012年もありがとうございました。心からの感謝☆、そして2013年もどうぞ宜しくお願いします☆

 

 

私立自由の森学園のカレンダーに中学の卒業制作が掲載されました

   

私が卒業した私立自由の森学園のカレンダー「2013 森をつくる」に中学の時の卒業制作が掲載されました。1.2月のページです。3.4月は長田さんの卒業制作作品、こちらも素敵です。自由の森で購入できるそうです。高校の卒業制作は授業を作るという冊子の表紙に掲載されてました。とてもたくさん卒業生がいるにもかかわらず選んでいただいてとても嬉しくなりました!ありがとうございます。

なにものでもないけれど、どこかで戦争が起きてても、どこかで誰かが世界で一番幸せと結婚式をあげてても関係なかった濃厚な時間みたいなことを卒業アルバムに書いてた。早熟

将来の夢がデザイナーかクリエイターだった。デザイナー以外の職業に就いたことがないとこの頃になって思い出し、あの頃の私にこれでいいんかいな?と問うてみようか思ったり。

とりあえず、自由の森の来年のカレンダーガールです☆(笑)

デザインやディレクションしたものは、近いうち更新します。

●一枚目の写真:カレンダー表紙 ●二枚目の写真:中学の時の卒業制作、1.2月

●三枚目の写真:長田さんの卒業制作、3.4月 ●四枚目の写真:授業を作る表紙、高校の卒業制作

 

おまけ☆髪ショートにしました。そのほかのたのしいじかん 4/4拍子

おまけみたいな日の過ごしかた

10年ぶりくらいに髪をショートにしました。



お薦めされて使い始めたとても良い香りでイラストもかわいいdavinesのシャンプーとコンディショナー。

光と影とドローイング、この感覚好きと思いながら”Projection mapping live performance art – The Alchemy of Light by a dandypunk”を見てて、、、、、、 ・ 。。!!!→
90年代を象徴しているデヴィッド・リンチ展を見たくなり、ラフォーレ原宿で「デヴィッド・リンチ展~暴力と静寂に棲むカオス」へ。


行く前に寄ったCEMENT X JUN MIKAMI POP UP SHOPで偶然、出会ってしまったとても素敵なものをデザインして染めて編んでいる三上純さんのグリーンのニット。筋肉や植物の葉脈みたいなイメージだそうです。

東塔堂でも出会ってしまって高価と状態の良さに迷いに迷って購入した美術手帖 昭和37年発行(¥10000ほど) 武満徹 杉浦康平 弦楽のためのコロナ の頁の格好良さ!たるやなんともうせましょう。 インダストリアルデザイン 泉真也さんの「数式の回転」イメージも!。

 

終電のがし、歩いて帰る明治通りでCOPY CAT 。ラフ感よろり。狙ったらできんだろう完成度。(真似ること、それをも考え抜いてかなければぬりえでしかないをまたかんがえる)

 

 よくわからんゲームみたいなのは(またこんど)

 なんてくだらない(と思うかもしれない)、たのしくて平坦な日々。4/4拍子

が覚めると、真ん中からひとつきできるものを届けたい。嘘や誤魔化しや言い訳はやっぱりいらない。(時々の覚めに、できていないことに恥ずかしくなる)

必要な資料がほとんどだからたぶん大金持ちではありません

 

文科省教育推薦プログラム:「高校での講演と受刑者教育」

2012年9月28日、北海道の刑務所にて、受刑者へ向けて『被害者と加害者の心の痛みと再生」について授業をしてきました。

1時間の授業が、2時間を経過してしまいましたが、最後に『もう二度としません。心の痛みを理解して、できるだけ誠実に生きたい」と受刑者から感想の言葉をもらったときに、これからどうなるかはわかりませんが本当にその気持ちを忘れないで、自分の犯してしまった罪を勲章ではなく、より良い方向へ活かしていってほしいと心から思ったことを伝えて授業を終えました。

またお願いしたいですと刑務官に言っていただき、私の気持ちも軽くなりました。

●一枚目:授業当日の札幌の朝。●二枚目:受刑者が製作したものを販売している売店。

●三枚目:一番人気の函館刑務所デザインのリバーシブルバッグ(通販可だそう)●四枚目:羽田空港。

●五枚目:札幌で人気のタルト屋さん(札幌行くと寄ってしまいます☆)●六枚目:はらドーナツ(も好き)

     

 

2012年6月28日、千葉県立旭農業高校全校生徒へ「命の大切さ:考える、受け止める鼓動、行動」を起点に、楽しむことや考えることの集中力について、デザイナーとしての私のことや作家、遺族の事例をあげて講演をしました。

 

『喪失を贈り物に変える』書評が週刊新潮に掲載されました。

生い立ちから現在まで 「生きること 響くこと つくること」を執筆し、装丁のデザインもしました。私の他8名それぞれの言葉で、喪失を贈り物に変えるまでの思いが綴られています。

「喪失を贈り物に変える」を交流があります新潮社の取締役の早川さんへ、お持ちしていました。
やらせになっては申し訳ないので、私が書いたものを書評に掲載せずに、別の方の文章を推薦していただいてかまいません。とお願いしていました。

自死がやはり社会問題となっている昨今の状況の反映と思われますが、週刊新潮の書評にはそのことが書かれています。9人それぞれが『希望』「自責」を抱えての人生観となっています。

Amazonにも、どなたかわかりませんが書評を書いてくださった方がいらっしゃいました。ありがとうございます。

週刊新潮の書評はこちらからご覧ください。

私が大学生をしている多摩美術大学でも紹介されています。
中学、高校の六年間を過ごしました私立自由の森学園でも紹介していただきました。

NPOの活動やこちらの書籍からの私の印象は、不幸な女性なのかもしれません。
思いの重さと人生を楽しんでいく笑いの大切さを、両親や妹から(とくにおもしろかった母から)体感させてもらった私は、シリアスな状況になればなるほどソワソワして笑顔になるような軽めな妄想をしてしまうことが、すみませんと思いながらも時々あります。私なりに喪失の哀しみと向き合い、より日々を深く、豊かに軽やかに楽しむためにできることを考えたり挑戦してみたり、疲れて昼寝したり。

美大に通い、デザインのディレクションやデザイン、NPOの代表としての講師の活動、自主制作で新たなるアイデアや展開を考えながら形にする恵まれた日々に、友人や周りの人達にとてもとても感謝してます。

 

曾祖父 村上春太郎と地震火災のリスク

母の祖父にあたる村上春太郎(天文学、物理学者)さんに私は会ったことがありません。私が生まれたときには亡くなっていました。叔父でもある日本の都市計画家の村上處直(すみなお)さんや母などから、月のクレーターに名前がついていることや国会図書館に数式の研究資料が入っていることなど多くの功績について聞いていました。

先日、處直さんから春太郎さんについて福井宗時さん(名古屋大学名誉教授)がまとめてくださった資料を見せてもらいましたが、其処に書かれていた言葉がとても印象的でした。

「専門家は不具であると。科学者に人格円満なる人の少なき嘆じ、生徒に名誉にのみ走る心を戒める。講義は唯心論を論じ、芸術を賛美し、話しの一語一句が詩的で、楽しみにして待たれる」福井宗時(名古屋大学名誉教授)

それから、関西学院大災害復興制度研究所長 室崎益輝さん(處直さんの友人)が、8月24日の朝日新聞 オピニオンのインタビュー記事で、震災に対しての公平なデータの蓄積、正しき検証について答えていますので、抜粋になりますが載せておきます。

「地震火災を甘く見るな」

◎「リスクを科学的に予測して、実現可能な対策にあたる。それがリスクマネジメント。試験に例えれば「正しくヤマをはる」

◎「東日本大震災で原発事故を引き起こした構図と同じです。最悪の事態は、起きてほしくない。という気持ちがリスクと正しく向き合わず、被害事態から目をそらそうとしているのです…。間違ったデータによる誤った対策は、多くの命を奪いかねません。」

◎「地震火災の原因を分析すると、通電火災の比率が非常に高い。…感電ブレーカーの設置を法律で義務づけるべきでしょう。安くてすむのにそんなこともできていません」

◎「何よりも街の中に緑を増やすことが重要です。街路樹には火に強い樹種を増やし、生け垣や敷地に木を植えて、緑の力で延焼速度を抑える。…シカゴ市では大火のあと、グリーンベルト地帯を網の目のように張り巡らせました。こうしたシカゴの事例などに学んだ街作りをするべきです。」

こちらの記事は、誤った解釈になりませんよう、気になる方は全文を読まれることをおすすめします。

地震だけではなく、一つの情報を鵜呑みにせず、気にかかっているものごとについては中立な環境で、時間をかけてでも少しずつ調べ、自分自身の視点や支点を明確にしていくことが大切なのではないでしょうか。

 先日発売されました書籍「喪失を贈り物に変える」水野次太郎名誉教授(臨床人間学)編著 久美出版、私の他に8名の執筆によるそれぞれの死の受け止め方やとらえ方については後日、書くことにします。

今日の午後から札幌へ、文科省教育推薦プログラムとなっている受刑者へ向けての授業をするため、あと少しまとめなくては な夜更けどきです。