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Category Archives: Think

久美出版:水野次太郎名誉教授監修「いきること つくること 響くこと」出版されます

母と共に、一人の時もありましたが何度か麗澤大学で講義をしました。昨年末に水野名誉教授から「自分のことを書いてみませんか?出版します」と声をかけていただきました。

それから、たくさんの伝えたいことや感謝したいこと、つくることを全身で楽しむこと、響いてくることを数ヶ月かけて練り、書きながら記憶をたどり、生まれてから現在まで、現在取り組んでいることとこれからのことについて執筆しました。

最後の校正も終わり、あとは装丁のデザインを進行しているところです。

私の他に19名の喪失感からの考え方や行動をまとめたものになります。

書籍のタイトルは「喪失を贈り物に変える(仮)」9月出版予定です。楽しみにお待ちください。

2011年アメリカ、パームスプリングで飲酒運転を撲滅するために、呼気でアルコールを感知してエンジンがかからなくなるシステムの国際会議が1週間にわたって開催されました。その会議へ 招待され、MADD創始者から日本のMADDJAPAN創始者飯田和代の活動が称えら「あなたにしか継承できません。これからも期待しています」と言葉をかけていただきました。

 

ひらく・とじる 結ぶ・開く 疎外感

最近よく耳にしていた「疎外感」について

●疎外感とは、
1:引け目を感じすぎ対等な関係を築くことができませんと放棄してしまうときに多い心理状態です。大切な人を亡くした衝撃によるものも多くあります。

2:誰が、翌日別の人に変身できるのでしょうか?と考え、問題としている物事と向き合う時間。

3:制作している人達が、コンペに落ちるショックや、報われない気持ちからも、疎外感は起きていきます。

4:良くない状況の連続。

 ●疎外感の行方
国内での鬱病2割 鬱状態4割〜6割 との統計がでています。

配慮しすぎる、空気を読みすぎる。相談しづらくなっていく。 病は気からというもので、鬱状態や動けない、または攻撃する状態も疎外感が発端のこともあります。原因は、風邪の原因が一つではないように一つではありません。
身近なことから見直す、そして納得いくところまで考えてみる。または休息を。それぞれにとても大切なことのように思います。

先日、あまり大きなショックを受けると体調が(花粉症や喘息)急に良くなってしまうことがあるという話になりました。医学的な証明はされてはい ませんが、あれほど酷かった花粉症がほとんど治ってしまったのは母の死後でした。良いこととして受け取るとは、時にはそのようなこともあるのかもしれません。

私にできること(制作、ディレクション・デザイン、痛みや死と希望からの講演や講義やワークショップ、原稿)ありましたらいつでもお声をおかけください。どうぞ宜しくお願い致します。

制作中の画像は後日更新します

そういえば上の様なものを制作してました。歌って叩いてひいて吹いて描いての楽しさ。またこの辺りのこともしてみようと思っています。

もしかすると、とほんとうのこと(心の動き)はじぶんしかわからないかもしれません。自分の姿は鏡で見ることでしか見えない箇所があります。自分にもわかっていないのかもしれません。言葉を、身体を、周りを、それぞれを大切にしていきたいと思っています。

 

千葉県知事の森田健作さんから辞令

4月19日、背すじピン。千葉県交通安全教育推進委員、引き続き今年から2年、真摯に受け止めながら努力しますと思えるひとときでした。(じ、辞令なんて)

メタスタジオを立ち上げたときからの心がけ

1:嫌みな動向探りは、ストレスフル。その状態を見つけたら「見、流し」しながら自己修正

2:「戦わずして視点を変える」先を見つめながらいろんな事を学んだ年月をも経験として大切に。

3:客観視と方向性は日々の時間にも左右され、良い方向へ行けるよう客観視点。

4:気になったら、その相手に先に声をかける、挨拶から良い点を探すことまで。 勝ち負けではなく、その方がより良くなっていく(あとは、相手のモチベーションも左右するので、まず最初の心がけ)。

5:気持ちの、心の「痛み」を切り捨てない。声を聞くことから

良いことも悪いことも失敗や反省も繋がってきて繋がっていく先をこれからも見つめながら、周りにありがとうございますと感謝しながら。これからもよろしくお願いいたします。

右の写真は:お茶の水のニコライ堂で「ロシアの教会のものです。あなたがお持ちください」と譲っていただいたきました。

 

 

Exhibition :KOKORO NO OTO

「KOKORO NO OTO : Sing and Dancing silent music」
東塔堂デッサンで展示をします。

人の精神的な側面「記憶」と「痛み」から呼び起こされる世界と空間としての時間を
アンティークの糸や活版、ドローイングを用いて表現しています。
期間 : 2012年2月15日 (水) ~ 2月22日 (水)
場所 : 東塔堂デッサン
時間 : 12:00 pm – 8:00 pm 入場無料 / 無休

※22日まで延長となりました。21日は定休日ですのでお気をつけください。

東京都目黒区東山1-9-7-1F
tel. fax. 03-3710-2310
e-mail:info@dessinweb.jp
http://dessinweb.jp/

活版のカード、LOVE LOGO アイシングクッキーも販売します。もしかするとカンバッチも販売できそう
クッキーは、sac-about-cookiesさんに。
http://sac-about-cookies.com/

ロゴタイプや紙へのステッチも実験してます。お近くに来られた際は是非お立ち寄りください。

 

環境と表現の中心へ向かうための愛情表現

社会学(言葉を通じた伝承含めて)や装飾文様、
情報としての流動性と言語の関係と差別環境、
それらと音楽と映像の必要性のある結びつき
などについて

更に調べて制作と結びつけていきたいと思っています。
そのベースに痛みと死、時間軸としての空間構成と
考えながら、模索しているところです。(覚え書きメモ)

妹が飲酒運転の車によってひき殺された事を機に、母が立ち上げましたNPOですが、
その後、母の煩ってしまった癌と社会との戦い、そして母の死。
父の煩った癌と母を全面的にサポートする中での社会との関わりと父の死
それらを遠巻きに見る社会をとおして
私自身もデザインという観点から死と死と向き合う姿を、人の有り様を
見つめながら、微力ではありますが時々講演をさせていただいています。

私が現時点で考えながら進めていることは
死生学の中に含まれている、芸術としての死との向き合い方の探求。
そして、短絡的な視点で方向を見失い
落ちていってしまう、最初のポイントである日常のクセ
たとえば、酒癖、賭け事、性癖、虚言と周りとの関係(社会性)
について。

客観性と観察力、俯瞰の視点が必要な起点にも関わらず
ずれていってしまう。全面的に研究をしているわけではありませんので
評価や比較、賞賛は現時点ではできませんが
キューブラー・ロスの死への需要の5段階
「否認と孤立」「怒り」「取り引き」「抑鬱」「受容」

これらについて
私なりに考えており、それらを今の環境へとつなげて
いこうかな と考えています。

できることがありましたら、または興味を持っていただけました際は
contactよりメールをお送りください。

ネットワークの可能性


ネットワーク上の最初の情報発信者からの派生と多重人格化:最初の発信者がいて、それを広める宣伝情報として二次利用を想定しtwitterやfacebook,tumblerの無料利用。
多くのコミュニケーションに着目している人達が発言しているように、情報が浸透していく社会の利用原理のわかりやすさがtwitter、 facebookなどのメディアということができる。文字数に制限があるTwitterは情報が浅くインスタントラーメンやコンビニのようで、ソースとし ての利用の域にとどまっているようにも思われ、情報への欲望や飢えが、更に情報をと求めて進化をしていく。

twitterはアイコンの軽さからもわかるように、自己責任の範囲がよほどの影響力を持っていない限りそれほど重くはない、i-phoneなどの タッチパネルの普及も関係して、触る感覚と書く感覚が手軽さへと移行している。そのため「ここではこんな私、こんな感じ」という仮面(ペルソナイメージ) を作りやすい。ネットワーク上の多重人格化ということについては、更に解析を加えてロザンヌ・ストーン氏などが書籍などで指摘している(テキサス大学イン タラクティヴ・マルチメディア研究所准教授,アーティスト.サンディ・ストーン名義でも活動.著書『電子メディア時代の多重人格──欲望とテクノロジーの 戦い』(新曜社,1999年))

この「多重人格化の表層面」がわかりやすい状態はネットワーク上ではあるが、現在の日常においても多重人格化がさらに進んでいるように見受けられる。

たとえば、上司にへりくだり家庭で強さを誇示のために怒鳴る、または、友人Aには優しく接して共通の友人Bとは友人Aの状況に対して、根拠のぶれた 鬱状態の露呈のような指摘を続けるなど。それは、タッチパネルに触れることでの知識や経験とはそれほど関係ないような発言権のバーチャル化が及ぼした妄想 的疑似体験からの鬱状態という社会現象のように、ネットワークという一面においては思えなくもない。社会的背景や比較の面からはまた別の要素が伺えるが、 それはまたのこととして。

ネットワーク上は、新しい情報が入りやすい環境ではある。しかし、触れるという温度が低く情報量にも限界がある。

それはチラ見せ=観賞魚としての安全を確保されたエンゼルフィッシュ的な美学といえなくもないのではないだろうか。

Joseph Beuysの『コヨーテ -私はアメリカが好き、アメリカも私が好き』のパフォーマンスについて:

このときのパフォーマンスは、書籍などでも見ることができ、当時のアメリカ社会が抱える人種差別や経済状況など社会問題への真髄への切り込み表現の鮮やかさを伺うことができるのではないだろうか。
『コヨーテ -私はアメリカが好き、アメリカも私が好き』
アメリカの空港に到着後、すぐにそのまま救急車で画廊まで運ばれ、アメリカ先住民にとって神聖なコヨーテと1週間を過ごす。
それから彼はアメリカを見ずに空港から母国ドイツへ帰国。

ICCで「Twitterの中のわたし ─自分がつくるじぶんをつくるアーキテクチャ」という企画があり、twitterについて更に詳しく掘り下げています。http://www.ntticc.or.jp/Exhibition/2011/Architecture_I_make/index_j.html


上記と下記のものは、私が描いた絵。
GIL SCOTT-HERON 「 I’M NEW HERE」を聞いての私なりのヴィジュアルイメージ。

年内に展示をします。生い立ちについて、執筆中で年明け春頃に水野治太郎名誉教授とその他の方々と共に書籍出版予定。アートディレクター・グラフィックデザイナーの他に、時々講師として大学や企業でなどで、「人の痛みと死の関係」「デザインから見た社会貢献」について講義、レクチャーをしています。

GIL SCOTT-HERON(ギル・スコット・ヘロン):http://gilscottheron.net/

1949年シカゴ生まれ。70年代から詩人 / ミュージシャンとしての活動。社会批判などを織り込んだメッセージは高い文学性をともなっており、“黒いディラン”などと形容。ま た、ソウルやジャズ、ファンクなどを融合させたサウンドにスポークンワードを乗せていくスタイルは、“ヒップホップ界のゴッドファーザー”と呼ばれるなど、後世へ与えた影響は計り知れません。(CD JORNALより一部抜粋)